今も通ずる諸葛孔明の『誡子書』の教え

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諸葛孔明を知っている人は多いのでしょうか。その類稀な頭脳を持って軍師として活躍した中国三国時代の天才です。

今回はそんな天才諸葛孔明と、諸葛孔明が子孫に残した教えである『誡子書』について紐解いていきます。

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諸葛孔明とは

諸葛孔明は名を亮と言い、諸葛亮とも呼ばれます。孔明は字(あざな)です。

諸葛孔明は中国後漢末期から三国時代に生きました。三国時代には蜀の劉備に仕え、天才軍師として知られています。

日本では三国志は人気コンテンツであり、諸葛孔明はその中でも人気だと思います。覇権を手にしようとする野望をもつ劉備などよりも、それを巧妙に裏で支える有能な部下に魅力を感じるのは日本人らしく感じます。

天才軍師の名を伝える逸話はいくつもあります。その中でもいくつか、諸葛孔明関連の言葉について紹介していきます。

諸葛孔明関連の言葉

三顧の礼

「三顧の礼」は人に対して礼を尽くして物事を頼む意味の故事成語として知られています。劉備が諸葛孔明を軍師として迎える際に、三度訪ねたという故事に由来しています。

諸葛孔明がまだ有名ではなかった頃に、黄巾の乱により天下に名をあげていた劉備がわざわざ諸葛孔明の元に何度も出向いて迎え入れるという行為からも、諸葛孔明の能力は高く評価されていたことが分かります。

水魚の交わり

水魚の交わりとは離れることのできない親密な間柄のことを言います。

劉備が諸葛孔明と自分の間柄について、「孤(君主の自称)の孔明あるは、猶魚の水有るがごとし」と言ってなだめたという故事が元になっています。劉備は諸葛孔明との信頼関係の強さについて、自身を魚に、諸葛孔明を水に例え、二人が切っても切れない関係であることを表現しました。

饅頭

諸葛孔明が南方征伐を行った際、川の神に人の頭を捧げる風習がある地域がありました。諸葛孔明はこの野蛮な風習を改めさせるため、羊や豚の肉が小麦粉で作った皮で包まれたものを人の頭に見立て、神に捧げるように教えました。

当初は蛮人の頭の意味から「蛮頭」が用いられていましたが、祭壇に供えたのちにそれを食べるようになり、「饅頭」に変わりました。

饅頭といっても、今で言う肉まんのようなものです。

饅頭の頭が人の頭を由来にしているなんて少し怖いですね。また、饅頭の由来にも諸葛孔明が関わってくるとは面白いものです。

誡子書とは

諸葛孔明の末裔が多く住む、諸葛八卦村。ここに諸葛孔明が残した『誡子書』があります。

夫君子之行、靜以修身、儉以養德。
非澹泊無以明志、非寧靜無以致遠。
夫學須靜也、才須學也。
非學無以廣才、非志無以成學。
滔慢則不能勵精、險躁則不能治性。
年與時馳、意與日去、遂成枯落、多不接世、悲守窮廬、將復何及

(意訳)
優れた人は、静かに身を修め、倹約をして徳を養う。
無欲でなければ、志を明らかにすることが出来ず、身が安らかに治まっていなければ、高遠な目的を達成することは叶わない。
静かな心から学ぼうとする意欲が生じ、学ぶことから才能は発揮される。
学ばなければ才能は開花せず、学ぼうとする志しが無ければ物事を悟ることも出来なくなる。
少し知識を付けた程度で傲慢になれば勤勉勤労から遠ざかり、いつも心が険しく騒がしければ自分自身を見失ってしまう。
齢を重ねるに連れて学ぶ意欲も無くなり、次第に、落ちぶれて世の中で己を発揮できなくなる。
そのときになって、嘆き悲しんでも遅いのだ。

 

この『誡子書』では「静」が学ぶことに重要で、学ぶことで才能を得ると説いています。この「静」と学ぶ姿勢は現代でも通用するものだと思います。

天才と言われた諸葛孔明は、常に落ち着いてこの学びの意欲を持ち、後世に名を残す偉人となったのでしょう。

私たちも、心落ち着け、学ぶことを続けることを忘れないで生きていきたいものです。

諸葛八卦村とは

諸葛孔明の末裔が多く住む諸葛八卦村。それは中国浙江省にあります。

諸葛孔明は孫が亡くなって一族が滅んだと言われていました。しかし、この諸葛八卦村に住む諸葛一族は諸葛孔明の子孫であることが最近認定されました。

八卦とは古代中国から伝わる8つの基本図像です。

八卦
八卦

八卦の名前を持つ村である諸葛八卦村はこの八卦の形になるように住居ができていて、中心に池がある形をしていました。外部から敵が侵入した際に敵が道を迷うようにする目的もあったようです。

しかし、文化大革命時に建物が壊され、その後乱雑に建てられたこともあり、今では八卦の形の区画の名残を見ることができる程度です。

諸葛八卦村に住む諸葛一族が諸葛孔明の子孫と分かってからか、最近は観光地化しているようで、ツアーとかもあるようです。

ぜひ行ってみたいものです。

 

今回は諸葛孔明の『誡子書』の「静」を忘れず、落ち着いて学び続けることについての教えをまとめました。変化の激しい刺激の多い現代社会においてこの「静」の心と「学び」はとても重要な考え方の一つだと思います。